ヒルソングのルーツ 第1章 – 後の雨の新秩序

原文: The origins of Hillsong (Part 1): The New Order of the Latter Rain


多くの人は、ヒルソングの出自がカリスマ派、ペンテコステ派、または救世軍にあると思っているでしょう。それは真実ではありません。

ヒルソングの出自はカナダ発祥の「後の雨の新秩序」というカルトに由来します。今日、この「後の雨」は新使徒的改革カルト(*)として国際的に知られています。

*訳注: 「新使徒的改革はカルトである!」 その1

新使徒的改革カルト

新使徒的改革カルトは異なるイエス、誤った福音、ニューエイジの空想的な教えや、神の国を地上に実現するための戦略について説教します。

この記事のシリーズでは、後の雨の新秩序の歴史と、いかにしてそれがAOG(アッセンブリーズ・オブ・ゴッド)ニュージーランドやAOGオーストラリアを席巻したか、またその経緯がいかにしてヒルソングとクリスチャン・ライフ・センターの創始者(*)であるフランク・ヒューストンによって成し遂げられたかを見ていきます。

*訳注: 正確にはフランク・ヒューストンの創設したクリスチャン・ライフ・センターと、その息子であるブライアン・ヒューストンが創設したヒルズ・クリスチャン・ライフ・センターが合流して後のヒルソングとなりました。

後の雨の新秩序と戦うペンテコステ派

後の雨カルトは、公にキリスト教に戦いを挑んでおり、教会をそのターゲットとしてムーブメントに取り込もうとしています。その初期から「新秩序」は、「霊による一致」というアイデアを押し出す一方で、攻撃的な「分裂させて支配する」戦略を地域教会に対して推進していました。

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シャロン孤児院は1948年に「後の雨の新秩序」のリバイバルが起こった場所です。

ペンテコステ派(米国のペンテコステ派AOG)がこの後の雨の新秩序とその「リバイバル」を最初に告発した教団であったことは特筆に値します。

1949年9月3日、アメリカのアッセンブリーズ・オブ・ゴッド総会は後の雨を非難し、退けました。


彼らは次のように書いています。

次のことを決議する。私たちは次の極端な教えと実践を支持しない。これは聖典に基礎を置かず、大切な信仰の交わりを破壊し、キリストの体の分裂と混乱をもたらすだけのものである。よって、23回総会はこの「後の雨の新秩序」と呼ばれるものを拒否する。「後の雨の新秩序」とはすなわち:

  1. 按手と預言による賜物の分与・識別・授与・確証に関する過度の強調
  2. 現代の使徒・預言者という土台の上に教会が建て上げられているという誤った教え
  3. 人に対する罪の告白と解放が実践されるものでありキリストのみに属する特権を人間の仲介人が持っているという、「新秩序」によって提唱されている極端な教え
  4. 異言の賜物の分与が宣教師として奉仕するための特別な備えであるとの誤った教え
  5. 預言を通じて個人的な導きを分与あるいは強要する極端で非聖書的な実践
  6. その他の聖書の剥ぎ取りや歪曲、また、私たちの間で広く受け入れられている教えや実践に相容れない解釈

また次の事柄を決議する。すなわち、私たちの間に平和をもたらす次の事柄を推奨する。互いに道徳心を高め合い、信仰による一致が得られるまでは御霊による一致を保ち続けるよう努力できるような教義と実践を推奨する。

この議題は発議され賛成されたため決議は採択された。短期間の議論の後、採択は圧倒的多数によって支持された。そして発議され、すべての教区がこの決定によって益を得るために採択された。決議はザ・ペンテコスタル・エヴァンジェルに記載される。

ソース: Flower Pentecostal Heritage Center


救世軍

CLC(クリスチャン・ライフ・センター)とヒルソングの創始者であるフランク・ヒューストンはニュージーランドの救世軍の中で育ちました。Suburban AucklandのAvondale隊の教会員たちが彼らを教会の資金を盗んで自分たちの自動車を購入したと告発した際に、ヒューストンたちを追放したのも救世軍です。フランク・ヒューストンはオーストラリアでの彼の新しい教会の構想に救世軍の音楽面(*)を取り入れ、人々に福音を聞かせ教会に呼び込むために用いたようです。(これはヒルソングがその初期に大きな影響力を持っていた理由です。彼らはシドニーのヒッピー共同体にアウトリーチする際にキャッチーなプレイズ・アンド・ワーシップを用いました。)

*訳注:救世軍はブラスバンドで世界的に有名です。

ニュージーランドのバプテスト派と救世軍は、「ペンテコステ派」のAOGニュージーランドを避ける上ではとても慎重でした。ヘーゼル・ヒューストン(Hazel Houston、フランク・ヒューストンの妻)は彼女の本「Being Frank(フランクであること)」の中でニュージーランドの「ペンテコステ派」に対する彼女のバプテストの保守的な判断を見せています。この段階で、ペンテコステ派ニュージーランドAOGは後の雨の新秩序カルトに席巻されていました。悲しいことに、NZ AOGはアメリカの癒しのリバイバルの考えを信奉しており、癒しのリバイバルは後の雨の教えを推進していました。この運動の有名な人物はウィリアム・ブランハム(William Branham)です。

ウィリアム・ブランハム

後の雨の新秩序による「リバイバル」と後の雨運動の先駆者の一人で、これらの運動に大きく影響を与えたのはウィリアム・ブランハムでした。

ウィリアム・ブランハム - 後の雨の異端者

ウィリアム・ブランハム – 後の雨の異端者

ヒルソング創始者のフランク・ヒューストンはゴードン・リンゼイ(Gordon Lindsay)の「A Man Sent From God(神から贈られた男)」という本を通してウィリアム・ブランハムの影響を強く受けました。すでにペンテコステ派が後の雨運動を非難し、ニュージーランドの救世軍とバプテスト派がNZ AOG(すでに後の雨の異端者たちが浸透していました)から距離を置いていたことを考えれば、フランク・ヒューストンがNZ AOGのトップに素早く上り詰めた理由の説明は簡単です:彼は後の雨の使徒と預言者の特徴を全て備えていたのです。

事実として、ヒルソングは後の雨の新秩序カルトの影響を受けた新使徒的改革の教会です。この精神的背景を持って、ヘーゼル・ヒューストンは彼女の本「Being Frank(フランクであること)」の中でフランク・ヒューストンがゴードン・リンゼイとウィリアム・ブランハムを通して後の雨に影響されたことを特筆しています。


『フランクが高熱を出して体の全関節が痛み、ひどく哀れな様で起きた時に狼狽しました。明らかに1日ベッドで休んでいなければならない様子でした。いつもは病気は彼を倦怠な時間と涙に飽き飽きした自己憐憫にいそしむ病弱な人に変えてしまいます。この時は4日間に渡る啓示の時となりました。一人のペンテコステ派を自認する人物が「A Man Sent From God」という興味深い本を彼に渡したのです。

ゴードン・リンゼイが記述した、ウィリアム・ブランハムの絶頂期であった預言ミニストリーについての洞察はフランクにとって驚くべきものでした。フランクがその本を開けた瞬間から、彼は病気についてぶつぶつ言うのをやめました。「この人は人々のことを、住所から電話番号に至るまで全て言い当てることができるんだ。驚くべきことだ。」彼は私に言いました。

「占いのようね。」私は懐疑的でした。

「でも彼は病気も治せるし、やったことの根拠を聖書から導いている。」

「フランク、そんなものに夢中にならないで。」私は注意しました。

「君も自分で読んでみるべきだ。」

「私はいいわ。そういうのを読むのは好きじゃないの。今ではそんなことは起こらないわ。」私は会話を止め、そのことについて考えるのをやめました。しかし、フランクは1940年代に起こった新約タイプの奇跡の可能性について考えをめぐらせていたのです。次の日曜の説教はその本からの引用を含んでいました。薬に頼らないイエスの癒しについての可能性を考慮するという声明は会衆からの抗議をいくつか引き起こし、アーニー・ホール(Ernie Hall)は全ての言葉を覚えていました・・・

「船長、10分前に医者からあと2ヶ月生きられないと言われた。今夜家に来て私に油を注いでほしい。何人かの信仰深い聖者たちを呼んで、癒しの集会を開こう。」フランクは衝撃を受けました。癒しについて信じることと説教することは一つのことでしかなく、説教に従って行動することも求められていたのです。

フランクがこの問題を避けることはできなさそうでした。彼は何をしなければならないかを私に告げまいと決めました。彼はその場に一人の不信心者もいることを望んでおらず、私は心を豆の缶詰の缶のように硬く閉じた不信心者でした。

彼がその家に着くと、16人の信仰深い救世軍人が集まっていました。いくつかの情熱的なコーラスの後、アリソン姉妹がフランクに油の入った皿を渡しました。彼はその皿をじっと見ました。一体どうやって誰かに油を注げば良いのでしょうか?アーニーの頭に油を散らせば良いのでしょうか?それとも彼の上に注げば良いのでしょうか?彼はヤコブ5:14を読み始めました。それは安全なことでした。

「あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。」指示書きはほとんどありません。彼は何かをしなければなりませんでした。

カトリック信者なら十字を切るでしょう。おそらくそれだったのです。フランクは指を皿の中に入れ、アーニーの額に油で十字の形に線を引き、信仰によって祈りました。何の前触れもなく、神の力が彼らをうしろに引きました。アーニーは大きな笑みを浮かべながら床に倒れました。彼はようやく立ち上がり、左手で台所の椅子を持ち上げました。それはここ数ヶ月彼ができなかったことでした。

フランクは自分の目が信じられませんでした。これは彼の知人である救世軍の将校たちにはほとんど知られていない霊的な領域でした。

[…] 将来の先駆けとなったこの出来事は、ある人々が私たちをペンテコステ派と呼ぶ理由に重みを与えています。』

Source: By Hazel Houston, Published 1989 (UK: Scott Publications), Being Frank, pg. 54-56.


ゴードン・リンゼイのウィリアム・ブランハムについての本のPDFをオンラインで無料で読むことができます。

A Man Sent From God by Gordon Lindsay

次の記事では、フランク・ヒューストンとNZ AOGの後の雨の教えがいかにオーストラリアのAOGに影響したか見ていきます。


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