ヒルソングのルーツ 第4章 – 独裁者のように、神の子孫のように

原文: https://churchwatchcentral.com/2016/07/03/the-origins-of-hillsong-part-4-like-dictator-like-son/


多くの人は、ヒルソングの出自がカリスマ派、ペンテコステ派、または救世軍にあると思っているでしょう。それは真実ではありません。

ヒルソングの出自はカナダ発祥の「後の雨の新秩序」というカルトに由来します。今日、この「後の雨」は新使徒的改革カルト(*)として国際的に知られています。

*訳注: 「新使徒的改革はカルトである!」 その1

新使徒的改革カルト

新使徒的改革カルトは異なるイエス、誤った福音、ニューエイジの空想的な教えや、神の国を地上に実現するための戦略について説教します。

この記事ではフランク・ヒューストンがどのようにして教会政治をその使徒的リーダーシップの元に再定義し、その教会員たちの民主的投票権を剥奪したかを見ていきます。

フランク・ヒューストンが偽預言者や詐欺の癒やし手のウィリアム・ブランハムや彼の教会のニュージーランドの後の雨信奉者たちを通して後の雨の新秩序(NOLR)カルトに影響された経緯をシリーズの他の記事で読むことが出来ます。


復習「後の雨の新秩序」

第一章の記事で、後の雨の新秩序(NOLR)がその初期にAOGから非難されたことに言及していますが、その教えは次の物でした:

「今日の使徒と預言者の上に教会が建て上げられるという誤った教え(ソース)」

NOLRはペンテコステ派を一番の敵としていたようです。私たちはNOLRがカナダのペンテコステ派教会の変革を熱望していたことを知っています。しかし、アメリカAOGが後の雨の新秩序を異端的運動として退けました・・・

「後の雨の教師、癒し手、伝道者たちは、以前に所属していた関係からはみ出し、彼らが感じるところの『荒野の教会』体験に行き付き、そこで再び集まり、自分たち自身のミニストリーを強化していきました。そして、60年台終わりから70年台にかけて、『カリスマ的』というラベルの元、意識的に他の教派への浸透を図り始めました。」

・・・『意識的に』浸透を図ったと言うのは、後の雨の自意識の中心にあるのが、賛美や霊的経験の新しいパターンによって人為的な「教義」や「伝統」を乗り越え、すべての信仰者を完成された教会に集め、それによりキリストのからだ(訳注:宗派によらずすべてのキリスト教徒からなる公同の教会のこと)を完全に統合することによって、彼ら自身が「神の新秩序」を表すということだからです(下記を参照 1e.g. Bill Hamon 1; pp.365, 387)。ソース

フランク・ヒューストンもまた、そのように「『カリスマ派』というラベルの元に他教派への意識的な浸透を図った」人々の一人でした。彼は後の雨信奉者の要件をすべて備えていました:

  1. 神の新秩序を表す・・・「キリストの体を完全に一致させるため」
  2. 「教義」と「伝統」を蔑み、嘲ることで故意にそれらを乗り越えようとしたこと

彼はまた、現代の使徒と預言者に関する「後の雨の新秩序」の信条を持っていました。ウィリアム・ブランハムや他の偽預言者たちに魅了されてしまったあまり、彼はAOGの最高責任者だった時に自分自身をクリスチャンの聴衆に対して「使徒」であるように見せようとしていました。そうでない理由はありません。彼自身の間違った思い込みや誤った教理に導かれるままに彼は影響力を持つようになり、多くの影響を受けた人々がいます。

改名された後の雨の新秩序運動

後の雨の使徒たちが教会の中で勃興する中で、ピーター・ワグナー(C. Peter Wagner)はこの新しい現象に名前を付けようとしました。

C. Peter Wagner

ワグナーが新しく装った後の雨を米国AOGが非難したその主要教義に沿って命名したのはとても興味深いです:

「教会が現代の使徒と預言者の上に建て上げられるという誤った教え」

ワグナーは次のように言います:

「私は名前を必要としていました。・・・何年かの間、私は『ポスト教派主義』に取り組んでいました。最終的にそのムーブメントを『新使徒的改革(the New Apostolic Reformation)』と名付けることにしました。」
Source: C. Peter Wagner, The New Apostolic Churches, Ventura CA; Regal, 1998, p. 18.

ワグナーは単純に「カリスマ的」というトロイの木馬を通して地位を築いた「後の雨の新秩序」の教会の形態を観察していました。後の雨のウィリアム・ブランハム、レイ・ブルームフィールド、フランク・ヒューストンなどがワグナーの観察範囲に入ってきたのでした。

「私の間違いでなければ、古い皮袋から新しい皮袋への最も顕著な変化というのは、聖霊から個人に移譲された霊的権威の量です。2つの最重要な言葉は「権威」、そして「個人」です。」
Source: C. Peter Wagner, Charisma Magazine, http://www.charismamag.com/spirit/church-ministry/15676-where-are-the-apostles-and-prophets, Published 25/06/2014. (Accessed 18/11/2015.)

※ 訳注:「教派」に対して「個人」が強調されているようです。

シリーズの前の記事を読んでいなければ、フランク・ヒューストンとレイ・ブルームフィールドが共にこの偉大な「聖霊から個人に移譲された霊的権威の量」から事を起こした事を覚えておいてください。

ところで、「古い皮袋」「新しい皮袋」とは何なのでしょうか?

Old wineskin – New wineskin doctrine

~ 古い皮袋ー新しい皮袋の教義:多くの後の雨教会はマルコ3:22のイエス・キリストの教えを歪め、教派に属する教会を貶めます。

ワグナーは次のように書いています。

「プロテスタント教会における古い皮袋においては最終権威が個人に帰せられることは決して無く、それは常に団体でした。最終的な霊的権威は教会の役員会、聖職者議会、管轄区、長老会、信者の集まり、会議、一般議会、代表者会議、教区総会、全国集会、これらの集会やその他の教会用語で表されるものに帰されます。これらは常に団体であり、個人ではありません。

地域協会のレベルで、新しい皮袋の牧師は教会のリーダーです。古い皮袋のように教会の従業員ではありません。例えば、教会の長老会が牧師を雇えば、牧師を解雇することも出来ます。仕事を続けるために牧師は教会を喜ばせなければなりません。これは、南部バプテストと合同メソジストというアメリカ最大の2つの教派の牧師の在職期間が2~4年しかないことの部分的な説明になります。使徒的教会では牧師の在職期間はもっと長く、多くの場合生涯に渡ります。なぜなら、牧師から長老たちへの報告義務は無く、代わりに長老たちが牧師によって任命されて報告義務を負うからです。

Source: C. Peter Wagner, Charisma Magazine, http://www.charismamag.com/spirit/church-ministry/15676-where-are-the-apostles-and-prophets, Published 25/06/2014. (Accessed 18/11/2015.)

後の雨によると、悪い「伝統的な」キリスト教は、神が彼の新しい使徒的教会で新しい使徒たちを通して聖霊によって自由に働かれるために避けられなければならないとされます。もしもクリスチャンが古い皮袋に固執するなら、死者、宗教的、伝統主義者と言われて悪魔呼ばわりされるのです。(まさに最近のブライアン・ヒューストンそっくりではないでしょうか?)

フランク・ヒューストン:「牧師は独裁者になる」

では、フランク・ヒューストンは彼の教会をワグナーが定義したような使徒的モデルによって運営したのでしょうか?フランクはワグナーが観察したような「新しい皮袋」の教会を運営したのでしょうか?

彼女の本、「Being Frank」の中でヘーゼル・ヒューストンは、フランク・ヒューストンがロワー・ハットのAOG教会を「後の雨の新秩序」の使徒的教会統治に関する教えによって再定義したことを記録しています。彼女の観察は大変興味深いものです(強調は筆者)。

フランクは教会の役員を選ぶシステムの欠点をますます認識するようになりました。幾人かは選挙のために活発なキャンペーンを行います。他の家族は突然毎週日曜教会に来るようになりました。規定によって、毎年の会合で投票できる資格を得るために、8週間の継続的な参加が求められていたのです。

新しいメンバーが候補者の誰も知らないので、どのように投票したら良いのか尋ねた時、フランクは幾人かのタスクに不適格な人たちと働かなければならないのはなぜなのか分かりました。聖書の慎重な研究によってさらに霊的な方法を見つけました。日曜の朝の説教でフランクは教会の自治について触れ、選挙ではなく任命という原則を教えました。

年次会議の直前、フランクは機転を効かせて機転を効かせて役員とその妻と話し、変化について提案し説明しました。年次会議で、メンバーたちに提案を話し、賛成を強いました。

「あなたが提案に賛成しなければこれがあなたにとって最後の投票になる」 彼は皆に言いました。

彼らは圧倒的賛成をもって決議を採決しました。彼は役員会を自身で選ぶべきだと感じました。彼が教会を運営し働きを進めるのにどのような人物が適切なのかをよく知っていたからです。イエスマンではなく、神を知る仲間です。そのビジョンを共有し、役員会の間中席に座って牧師に目を光らせ、すべての提案に反対するようなことのない男性です。

ハーモニーが成功に向けての主要な材料なのです。教会では資格を満たすことを求めませんでした。彼らはその友人や適当な人に投票したのです。必要なときに援助が来なかったのは当然でした。ある定例会では議題に上ってもいなかったのに、あるメンバーが他のメンバーに自分たちのリーダーに投票するように求めました。このような牧師を雇ったり解雇したりするシステムはとても多くの神の民を傷つけてきました。これはフランクにとっては他のどのようなシステムにも増して非聖書的な物でした。

「私たちは戦うためにここにいるのではない。私達の敵は悪魔だ。」フランクは宣言しました。変化を受け入れられないと感じたのは一人でした。フランクは彼が良い人だったのでその辞任を悲しみましたが、新しい方法がベストだと決意したのです。

「これでは牧師が独裁者になってしまう」非難の声がフランクに達しました。

「役員会は教会の安全のために必要です」フランクは保証しました。「誰でも不満があるなら彼らと話し、彼らが必要と判断するなら適切な処置を行うでしょう」

ソース:Hazel Houston, Being Frank, pg. 125-6.

これが、フランク・ヒューストンがペンテコステ派AOGの教会を新使徒的改革の「新しい皮袋」の教会へと変えてしまった過程です。そして今日の新使徒的改革の宗教指導者たちによると、その使徒の権威は教会の成長と成功にかかっているということです。

失われた教会員の権利 – 使徒への服従は絶対

フランク・ヒューストンが『変化への投票』の権利を奪ったことで、教会員の権利を剥奪したことに注意してください。キリスト教徒の教会は牧師が教会に仕えることで成り立ってきました。キリストは謙虚にもその人間の肉体を持ってその人々に仕え、隣人に仕えて愛し、その弟子たちの足を洗い、十字架の上で完全な贖いの捧げ物として死ぬことで神と人に仕えたのです。キリストは神と人とに仕えて神の栄光を現すために来られました。キリストは良い牧者なのでその生命を羊のために犠牲にするまでに仕えました。これが私達が毎週日曜に礼拝に集まることの理由です。牧師はキリストが仕えたようにその教会に仕えるのです。

しかしフランク・ヒューストンはこれをひっくり返し、羊と彼の長老たちに彼を「使徒」(彼はこの言葉を用いませんが)として奉仕することを要求します。

失われた長老の権利 – 使徒への服従は絶対

彼はまた、聖書の教える、教会の権限についての長老の兼任についての教えを否定しました。フランクが『自身で役員を選ぶように』導かれていると『感じて』いたとヘーゼルは記録しています。ワグナーが指摘したように、『古い皮袋のプロテスタント諸教会において最終権威が個人に帰せられることはありませんでした』。フランク・ヒューストンは彼自身を『新しい皮袋の牧師である教会のリーダー』とするために自身で役員会を作りました。

覚えておいてくださいーフランク・ヒューストンへの影響は『聖霊から個人へと移譲された多くの霊的権威』を持っていたウィリアム・ブランハムやTLオズボーン、またレイ・ブルームフィールド達からのものです。

おっと、ところで・・・

使徒フランク・ヒューストンはこの段階で少年たちを性的虐待していました。

  • 「カーテンの向こうの小児性愛者は気にしないで」- オズの偉大な使徒は言った(訳注:「オズの魔法使い」のセリフから)

フランク・ヒューストン: ニュージーランドとオーストラリアで幾人もの少年たちを虐待した
ブライアン・ヒューストン:隠しきれなくなるまでその父親の犯罪を隠蔽し続けた

事実

  • フランク・ヒューストンはCLC/Hillsongを1977年にシドニーのSherbrooke Hallで設立した。
  • フランクの息子、ブライアン・ヒューストンはその父親の成功した「神の働き」を受け継いてHills CLCを開始した。
  • 小児性愛者であることを告発される前、フランクはその成功した教会をブライアンに相続し、ブライアンはそのミニストリーをヒルソングへと統合した。

私達の主張が信じられませんか?王立委員会の調査報告を読んで下さい。

王立委員会公式調査報告書(case18)

しかしながら、オーストラリアのAOGは使徒的リーダーシップ(世俗的に成功し影響力を持つ)をフランク・ヒューストンに見たのでした。

次の記事ではカートリッジとヒューストンの後の雨との関係を見ていきます。